シベリアンブルーサイド 第2部 第1章 2
「今回の作戦は、俺が命令するまで一時中止とする。全隊、駐屯地に帰還させてくれ」
俺は副官のレオノヴィチ(Леонович)少佐にそう命じた。
「了解しました!直ちに全隊、帰還させます!ところでシャロノフ司令、この霧の中をどこかへお出掛けですか?」
レオノヴィチは俺とエカテリーナの顔を相互に見ると、いぶかしげな表情になった。
「外は寒いですから、司令専用車をお回しします。エントランスでお待ち下さい」
「そうだな、よろしく頼む」
俺は、作戦会議室の横にある車寄せに向かおうとした。
「いいえ、少佐、それには及びませんわ。司令は私のジープでお送りします。私はその後、直ぐにモスクワに向かわなければならないの」
「モスクワへ?グロムイコ派への工作か?」
「さあ、どうでしょうね?」
エカテリーナは俺の問いかけにいたずらっぽく笑うと、そそくさと司令室を出た。
「少佐、これから私はウファで工作員と接触してくる。ついでにソフィアの情報も探ってくるつもりだ。いや何、君たちでソフィア探索が無理だと云っている訳ではない。君たちは、プロニチェフ次官からの借り物だ。このくらいの捕獲作戦で、長期間拘束する訳にはいかないからね」
「ご配慮、恐れ入ります」
「明後日には戻る予定だ。作戦再開はそれからだな!連絡を入れるから誰かに迎えに来させてくれ!留守中の指揮は君に任せる」
「かしこまりました」
「あと、凍る月から連絡があった場合は、私に報告してくれ給え」
「了解!」
俺はそれだけ言い残すと、エカテリーナがアイドリングしている軍用ジープ、NIVA-600に乗り込んだ。
「おい、カーチャ、幌の前の方が破けているじゃないか!」
「心配しないで(Всё будет хорошо フスョ ブーヂット)!ヒーターは故障していないわ」
敬礼して見送るレオノヴィチ少佐の横を、勢い良くエカテリーナのジープが横切った。
近くに俺の専用送迎車、ヴォルガ2400が見えた。やはりこちらにすべきだった。
戦場ではちょっとした判断ミスが命取りになる。これからは、エカテリーナのペースに嵌らないようにしよう。
ジープが、駐屯所出口の検問所を出る時、軍用犬がこちらに向かって激しく吠え立てた。
「馬鹿犬どもめが」
短い期間とは云え、この駐屯地の最高司令官はこの俺なのだ。 最高司令官に向かって吠えるとは、一体どんな訓練を行っているのだ。
かつて第1次世界大戦下のドイツでは、優秀な軍用犬は軍犬と呼ばれて、軍人と同等の扱いを受けたと云うのに、我がロシアの軍用犬は何と無様なことか!
「ちっ、馬鹿犬どもがうるさいわね!急いでなければ、一頭残らず撃ち殺していたところなのに」
エカテリーナは舌打ちをすると、猛スピードでペシニフの森を抜ける道にジープを向けた。
俺はその時、軍用犬が俺にではなく、エカテリーナに対して吠えていた事を知った。
この女に対してだったら、俺がもし軍用犬だったとしても、激しく吠えただろう。
俺が専用車で出入りする時には、一度たりとも吠えたことがない事を思い出して、軍用犬を疑った自分を恥じた。
やはり我がロシアの軍用犬は優秀だったのだ!
「アレック、そこのダッシュボードに、今から会うタチアナの写真があるから、今のうちに見ておいて」
「カーチャ、霧が深いんだ!もっとスピードを落としてくれ」
「大丈夫!ヘッドライトを点けてるわ!対向車だって、この霧だもの!ヘッドライトを点灯してるって!」
「カーチャ、君が我が「眠らない虎」で、ナンバーワンのドライバーであったことは認めるが、私が心配しているのは、対向車との正面衝突ではなくて前方車との追突の方なんだけどね」
「アレックって本当に心配性ね!こんな田舎道、前方車なんている訳ないでしょ?」
「本当かね?」
もし、全財産をワンスローのルーレットに賭けなければならなくなったとしたら、多くの人が、赤か黒か、奇数か偶数か、少なくとも2分の1に近い確率の目に賭けるであろう。
それは全財産を失いたくないと云う心理が、自動的にリスクをヘッジする目を選ぶからである。
故に、2分の1に近い確率で賭ける手段が封じられているシングルオーとダブルオーに賭ける人は、極端に少なくなる。
誰も賭けない目は、ディーラーがスローするまでの間は、あたかも、全く有り得ない、死んでいる目として、全ての賭け手の意識から消え去っているが、無情にも、確実に19分の1の確率で、シングルオーとダブルオーにボールは転がり込む。
戦争で死ぬと云うこともそれに似ていると思う。誰もこの戦闘で自分が死ぬとは思っていないからだ。皆、シングルオーとダブルオーの目を、故意に無視しているのだ。
もし、自分が戦争で死ぬと思っている奴がいたとすれば、戦場に出る前に精神的にホールドアップしてしまって、まともな戦士にはなれない。
だが、まともな戦士はよく死ぬ。それもまた紛れもない事実である。
兵役検査で、メンタル面で不合格になれば、やれ卑怯者だとか臆病者だとか、果ては非国民だとか、周囲から激しく非難されるが、少なくとも戦闘で死ぬことはない。
まともな戦士として生きていく事と、どちらが幸せなのかは俺には分からない。
俺は、祖父の代から職業軍人だったから、戦場で死ぬ事は全く怖くない。
怖くないと云うより、むしろ戦場で死ぬ事に憧れさえ抱いている。それはエカテリーナも同じであろう。
エカテリーナと俺の決定的な違いは、俺は戦場以外で死ぬ事を極端に恐れているが、エカテリーナは、全くどちらも恐れていないと云う事だろう。
俺は戦場以外では絶対に死にたくない。まして交通事故に会って道端で死ぬなど最低だ。
誰かエカテリーナの暴走を止めてくれ!
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